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【時代別】海苔の歴史とは?旬についても詳しく解説

【時代別】海苔の歴史とは?旬についても詳しく解説

「海苔の歴史について知りたい」

「海苔の旬っていつだろう」

こんな疑問はありませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本記事では、海苔の歴史と併せて、海苔の旬や焼き海苔を創案した人についても解説します。

最後まで読むと、海苔について詳しくなります。

 

この記事の監修者

山内満子

 

 

 

 

2008年、遊子漁協女性部部長に就任。2016年までの8年間、地域の生き残りをかけた地域活性化、魚食普及活動に部員と共に奔走。その活動が認められ、2012年第17回全国青年・女性漁業者交流大会、地域活性化部門において「農林水産大臣賞」、第51回農林水産祭(新嘗祭)水産部門において「内閣総理大臣賞」他、多数受賞に導いた。更なる魚食と養殖漁業のPRのため、2016年9月にスリーラインズ株式会社を立ち上げ、新たな水産イノベーションに取り組むための活動を開始。現在、愛媛県宇和海の高級スジアオノリ「きぬ青のり」を養殖している。

 

海苔とは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海苔(のり)は、食用に適した紅藻、緑藻、シアノバクテリア(藍藻)などの藻類から作られます。

日本では古代から「紫菜」や「神仙菜」としても知られています。

食べられる形に加工された海苔には、「生海苔」や「板海苔」などがあります。これらは日本料理でよく用いられ、ご飯の付け合わせ、おにぎり、巻き寿司、軍艦巻きなどの寿司種類、または麺料理(例えば、ざる蕎麦やラーメン)のトッピングとしても使われます。

 

【時代別】海苔の歴史

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海苔の歴史を時代別で解説します。

 

  • 縄文時代
  • 飛鳥時代
  • 奈良時代
  • 平安時代
  • 室町時代
  • 江戸時代
  • 明治時代
  • 大正時代
  • 昭和時代
  • 平成時代
  • 令和時代

 

縄文時代

海苔は、日本の古代から縄文時代にかけてもすでに食べられていたとされています。

貝塚などの考古学的証拠からも、古代の人々が海岸で採れる貝や海藻を重要な食源としていたことがうかがえます。

 

また、「ノリ」という言葉自体は、「ぬらぬらとした」ものを意味しており、当初は柔らかい海藻類全体を指していたとされています。

現在私たちが一般的に「海苔」と呼んでいるのは乾燥させたものですが、その名前の由来は乾燥前の湿った状態にちなんでいるようです。

飛鳥時代

700年ごろ

「常陸風土記」は古代日本の地理や風俗に関する文献で、その中に海苔(のり)が初めて文字で記述されています。

文献によると、ヤマトタケル(倭武の天皇)が関東地方の霞ヶ浦を訪れた際に、浜辺で海苔が多く乾燥させてある様子を見たという話があります。

 

具体的には、「ヤマトタケルが海辺を巡って「乗浜(のりのはま)」と呼ばれる場所に到達したところ、海岸にはたくさんの海苔が干してあった」という内容です。

この海苔は、地元の人々によって「のり」と呼ばれていたとも記されています。

 

701年 大宝元年

日本で初めて成立した法典「大宝律令」(701年に制定)には、賦役令というセクションがあり、そこで「調」という、現代でいうと税金に相当する負担物の一つとして「紫菜(むらさきのり)」が記載されています。

 

「紫菜」は、現在の海苔に相当します。大宝律令においては約30種類もの海の産物が税としてリストされていますが、その中でも海苔は高価な品と見なされていたようです。

具体的には、海苔は「凝海藻(こもるは)」(今でいうところてん)などの他の海藻類よりも2倍以上の価値があったとされています。

 

法典が正式に施行された日は、新暦では2月6日に当たるため、1966年(昭和41年)にこの日が「海苔の日」として定められました。

奈良時代

710年 和銅3年

平城京には海藻類を専門に取り扱う市場もあったとされています。

具体的には、「にぎめだな」と呼ばれる店で海草類が販売されていた一方で、「もはだな」と称する店では、海苔や昆布を佃煮のように調理した加工品が販売されていたと言われています。

 

733年 天平5年

「出雲風土記」にも海苔に関する言及があります。特に、「楯縫(たてぬひ)の郡」という地域で高品質の「紫菜」(海苔)が取れるとされています。文献によって、海苔が当時からこの地域で採取されていたことが確認できます。

平安時代

967年 康保4年

平安時代の法制度や儀式に関する文献「延喜式」には、海苔が皇室や高位の貴族への献上品、または供される料理の一部として特に重視されていたと書かれています。

この文献によれば、海苔はその他の海藻類に比べて最も価値が高かったとされています。この高価な海苔は、おそらく岩海苔であったと考えられています。

 

1053年 天喜元年

平等院鳳凰堂が完成して、天皇御幸の膳に青苔・海苔が出たと伝えられています。

 

1184年 文治4年

源頼朝が朝廷に伊豆産のアマノリを献上したといわれています。

室町時代

1380年頃 室町時代初期

「庭訓往来(ていきんおうらい)」に茶懐石料理の菜として、塩海苔・アマノリ・青苔などが記されています。

 

1595年 文禄4年

豊臣秀吉が宴席で出された料理の中には、トサカノリや結び昆布と一緒にアマノリも含まれていました。

この時代においては、海苔は主に流木や岩に自然に生えているものを採集し、乾燥させて食用にしていたとされています。

つまり、この頃の海苔は自然環境で成長していたものをそのまま利用していたと思われます。

江戸時代

1596~1614年 慶長年間

浅草ノリの名が誕生しました。

 

1603~1624年 慶長8年~寛永元年

品川ノリ、葛西ノリの名が誕生しました。

 

1626年 寛永3年

徳川家光が二条城で焼き海苔を食べたそうです。

 

1718年 享保2年

最初の海苔養殖の試みが品川の海で「ソダヒビ」という設備を用いて行われました。

「ソダヒビ」は、葉を取り除いた枝を束ねたもので、海苔が生える基盤として使用されました。

ただし、この時点で海苔の胞子(種子)のつく方法が科学的に解明されていなかったため、養殖は経験と勘に頼るしかなく、その結果として収穫量は年によって大きく変動しました。

 

豊作の時は大きな利益が得られ、不作の時は借金が残るような状況でした。この不安定な性質から、海苔は「運ぐさ」とも呼ばれていたようです。

しかし、後に幕府の支援を受けて、海苔養殖は安定し、海苔は江戸の名産品となりました。

 

1772~1780年 安永年間

この時期に浅草での再生紙製造が非常に活発でした。

その製造技術が海苔に適用され、四角い板状の海苔が簀(す)を用いて漉き出されるようになりました。

 

1804年 文化元年

以前は、高品質の浅草海苔は品川から浅草に運ばれて製造されていました。

しかし、この時点から、浅草での海苔の漉き作業は減少し、品川や大森での生産が主流となりました。

 

江戸時代全体を振り返ると、海苔養殖によって生産量が増加し、紙の形になることで配布が容易になりました。

さらに、手巻き寿司などでの利用も拡大したことで、海苔は広く普及していったわけです。

明治時代

1869年 明治2年

日本橋室町の山本が味附海苔を創製しました。

 

1871年 明治4年

東京下谷池之端の酒悦香泉が海苔佃煮を創案しました。

 

1877年 明治10年

日本橋山形屋が、焼き海苔を瓶詰めにし錫箔で封じたものを創案しました。

 

1912年 明治45年

三越呉服店が日本初の食品部を置いて、デパートで初めて海苔の扱いを始めました。

大正時代

1919年 大正8年

日露戦争後の好況時代を迎え、東京や大阪などの都会のデパートが続々と海苔の販売を開始しました。

 

1924~1925年頃 大正13~15年頃

ノリ養殖が始まってから約300年経過し、その間一貫して「ヒビ」と呼ばれる方法が使用されていました。

しかし、この頃に新しい「網ヒビ」が開発されました。当時はシュロやパームといった天然の繊維が用いられていましたが、現在では合成繊維が使われています。

昭和時代

1949年 昭和24年

イギリスの藻類学者、キャサリン・メアリー・ドリュー氏が、海苔の生活環を明らかにしました。

特に、長らく大きな疑問とされていた「夏季に海苔がどこに存在するのか」という問題を解決しました。

 

1956年 昭和31年

愛知、広島、福岡、佐賀各県水産試験場及び熊本県ノリ研究所で人工種付けに成功しました。

 

1960年 昭和35年

「浮き流し養殖法」により、国内海苔生産量が38億枚を超えました。

浮き流し養殖法とは浮に海苔網を張る製法で、浅瀬だけでなく水深のある海でも海苔を養殖できます。

 

1973年 昭和48年

海苔の大きさが19㎝×21㎝のやや長方形に統一されました。

 

1980年 昭和55年

コンビニエンスストアで海苔のおにぎりが発売され、影響を与えました。

平成時代

2001年 平成13年

諫早湾干拓事業に関し有明海海苔不作問題が政治社会問題化しました。

 

2013年 平成25年

「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録され、日本の伝統的食材である「海苔」にも注目されました。

令和時代

2019年 令和元年

山本海苔店の「味附海苔」が、宇宙用の日本料理として認定されました。

宇宙日本食とは、国際宇宙ステーション(ISS)で長期間過ごす日本人宇宙飛行士に、日本独自の味と食感を提供し、それによって仕事効率を保つか向上させることを目的とした宇宙食品です。

 

参考:https://www.yamamoto-noriten.co.jp/knowledge/history.php

 

海苔の旬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月頃から採られる海藻から作られた海苔は「新海苔」と称されます。

その味と香りは極上で、触感も優れています。

海苔のシーズンは11月から2月までで、主な産地は福岡県、佐賀県、愛知県などです。

特に、福岡と佐賀の周辺は大きな海苔の産地であり、有明海で育てられた海苔が多く収穫されます。

 

焼き海苔を創案した人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

焼き海苔のアイデアを最初に思いついたのは大森の三浦屋田中孫左衛門で、1844年(弘化元年)にはガラス瓶に入れて販売を始めました。

 

その後、この製品は山形屋によって「貯蔵(かこい)海苔」として市場に出され、海軍からも購入されました。そのおいしさと長期保存が可能な特性が高く評価され、他の企業でも取り扱いが始まりました。

 

H3:まとめ【海苔の歴史を学びましょう】

今回は時代別の海苔の歴史と併せて、海苔の旬について解説しました。

 

海苔のシーズンは11月から2月までで、主な産地は福岡県、佐賀県、愛知県などです。

 

海苔の歴史を学ぶことで、海苔に対しての興味関心が湧き、さらに興味がもてるでしょう。

 

スリーラインズ株式会社では青のりの中でも磯の香りがとても強く、最も美味しいとされる最高級の青のり、スジアオノリ「きぬ青のり」を養殖しております。

 

品質の良いスジアオノリをお探しの方はぜひ以下のリンクからお問い合わせください。

 

【お問い合わせフォームのURL】

 

contact@utakichi.net